恋空もいい感じだったのですが。
ぶっちぎりに今は秒速の方に傾いています。
なにか感じられるもの。そこに在るもの。手に届きたいもの。
それらの不思議な問いかけと時の経過によって移り変わる心。
なにかの感傷によって求め分かれ合う・・・。
ハッピーなのも結構なのですが、
俺は結構こういう鑑賞深い物の方が似合っていると自画自賛してみる。
バカ!実写よりね?アニメの方が伝わりやすいんだよ!
はっ?所詮アニメ?違うねっ!これは芸術だよ!
どこぞのレビューサイトにも書いてあったように、
「存在」ってなんなんでしょうね?
厨房がよくかっこつけて闇雲に投下する言葉の一つなのでしょうが、
これはよく理解しているのでしょうか?
実は続きに書きたいのに、このテンプレは続きも表示されるのでそのまま書きます。
まぁ秒速みたから多少感傷的になっているのかもしれませんね。
(ここからは私言なのですが、余興があったら見てください。)
では。ミュージカルにもあるようにイツキ風でしゃべりたいと思います。
存在とは偏に二次元が三次元に留意したようなものだと思います。
絵には下書きを施します。その絵を立体的に見せたいとき、光の向きや影を付け加えます。
もちろん、3Dもそのようなものでしょう。
しかしです。どこぞかのアニメの中では時間はパラパラ漫画のようなものだと言っていました。
これは三次元である私達に二次元であるパラパラ漫画を例に取ったのです。
次のページを次元移動、めくる時間を時の移動として考えたときに、
時の壁を次元によって超過したと考えられます。
だからこそ未来から某キャラは途中で描かれたラクガキみたいなもの・・・。
ここで一つ問題があります。
さっきご紹介したのはあくまで例なのですが。
このラクガキは三次元だとどのようにして現れるのでしょうか?
これこそが存在の正体であり確証が無い虚数なのです。
一定の条件を満たしたときに私達は存在となります。
木を育てるときにだって種と水が無ければなりません。
条件をクリアすることによって種が木にへと存在するのです・・・。
つまり。記憶があり、物理的なそこにある「存在感、実存感、リアリティ」を感じ取ることが出来たら
それは存在と言うことになります。
たぶんね。
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